モデルになった場所は、国道52号沿いの、今は廃墟となったドライブイン付近です。この場所を通るたびに、まぶたになぜか映る光景が、古い桜の大樹とデコボコの駐車場。枝が車の上に……は実話です。ひやりとしました。心と実生活に闇を抱えた人間のお話です。
あらすじ―― 大金欲しさに連れを殺した男は、かねてから目をつけていた山奥に遺体を棄てに行く。それは秋の終わり。
闇の中で徒花は咲く。
キーワード #クライムミステリー #犯罪 #桜
星一つない、真っ暗な闇夜のことだった。
ヘッドライトが照らし出す前方のみに集中して、赤井は黙ってハンドルを切っている。
道は大きくヘアピンカーブを描きながら徐々に山へと上っていく。この時間ともなると他に車は見えない。ただ、黒々とした山の合い間に、ぼんやりと道路を形作るガードレールや反射板、標識が続いていた。
「……どこに棄てに行くつもりっスか」
FM局をチューニングする手を止めて、助手席のダイがおそるおそるそう訊いてきた。ちょうどチャンネルは陽気なサンバの曲で止まった。雑音が多く、つっかえがちなメロディーに、赤井はちっと舌打ちしてから脇から手を伸ばし、ラジオを切る。ダイが「あ」と小さく声を出したので赤井は彼の方に一瞬目だけを向けた。傷ついたような目をしたダイが、ちらりと赤井の方をうかがってから手元に視線を落としたので、赤井はまた運転に集中する。
ダイは木谷を油断させるために一緒になってたんまりと酒を呑んでいた。だから普段ならばいい心持ちで鼻歌でも歌うか、ぐうすか寝ているところだったろうが、さすがにこの場では酔った様子もなく、逆に顔色は青くみえた。
「じき、着きますかねぇ」
「あと15分くらいだ」
「オレ、ションベン……」
赤井は答えず、少しだけアクセルを踏む足に力を込める。ぐん、と軽ワゴン車に加速がかかり、エンジン音があえぎ声を高くした。
どん、と鈍い音がしてダイがひゃあ、と女々しい悲鳴を上げる。後ろの席に座らせていた木谷が倒れかかり、頭がダイの背もたれに当たったようだ。
「ごごごめん木谷さん、痛かった?」
座席から乗り出して木谷の身体を押し戻そうとするダイ、ひじが赤井に当たる。
「ばか、危ねえから座ってろ。それに死んでんだから痛いわけねえだろ」
「で、でも……」
「おまえ」
赤井は前を見たまま静かに告げる。
「もう共犯なんだからな。木谷ぶっ殺して当選金欲しいよな、って言ったのはおまえだからな」
「ち、ち、」
「そうだろ? 1億を半々に出来ねえかな? ってニヤついてたじゃねえか」
ダイは前に向き直り大人しく座り直す。小柄な姿が更に縮こまったようだった。
かなり登ってきたあたりに、その廃墟はあった。かつてはドライブインとして人々で賑わっていたその施設も、今ではすっかり寂れ、取り壊す者もなくその姿を黒々と山あいに晒していた。
「あれぇ、ここ」
ダイが少しだけ人心地ついたような物言いになった。
「前に、花見に来たっスよねえ」
「ああ……元々桜の名所だったからな、ここ」
「駐車場の端っこに、でっかくて古い樹が一本ありましたよねえ、見事でしたわ」
数年前の春、赤井と木谷、ダイと飲み屋の女らと5人で、ここで花見をしたことがあった。
「あの時、下の崖覗きましたよねぇ」
急にその時の光景が蘇ったのか、ダイが身ぶるいした。赤井は淡々と告げる。
「車をあの木の近くに停めて、木谷を落とす」
「……見つかっちまいそうですねぇ」
「大丈夫、谷はかなり深いし、木が被ってるからな」
赤井は慣れたように廃墟脇の駐車場へと左折して入っていった。そのまま建物から遠い一番端まで車を進める。舗装がかなり傷んでいるらしく、車が揺れた。後ろの木谷も揺れ、またダイがかすかに悲鳴を上げた。
「あ、赤井さん、もう車止めた方がいいっスよ、危ないっス」
「崖から落とすのに、端っこがラクなんだよ。おまえ、長い距離、足元もボコボコでよく見えねえような所で、苦労して重いモン運びたくねえだろ」
ダイはぴたりと黙った。確かに、ダイは小柄だし、赤井だって決して小さい方ではないが、木谷ほどの恰幅のいいやつを担いで運ぶのは大変だ。
間もなく、車は駐車場の一番端に着いた。赤井は慎重に向きを変え、バックでギリギリと思えるところまで車を移動させる。
「これで、よし、もう少しか?」背後と助手席側に切り立った崖があるはずだった。
「あ、危ないっスよ」
「大丈夫だ、車止めがあるから」
少しずつ下がっていく車の上を、何かがかすかにこする気配がした。ダイが物問いたげな目を赤井に向ける。
「なんか、枝がこすってませんか? 外で見てみましょうか?」
ダイが出て、暗がりの中、さんざん懐中電灯で照らしてみてから押し殺した声で叫んだ。
「太い枝がちょうど車の上に来てますよ、そっからまた枝が出て、屋根に少し触ってます」
かじっている感じではなかったので、赤井は更に車をバックさせた。
「気にすんな」
「赤井さん、すげースよ」
車の脇に立って、ダイは声をひそめながらもはしゃいでいる。まだ車の屋根を照らして見ているようだ。
「上の枝に、花咲いてますよー、秋なのに。3こくらいっスけど」
「徒花、って言うんだよそういうの」
「アバダナ? っスかぁ?」
「気にすんな」
やがて車止めの軽い抵抗を感じて、赤井はブレーキを踏む。
ダイが後部座席のドアを開け、まず赤井が木谷を引きずりだした。
腕がだらんと垂れ、死者の指先が赤井の胸元をかする。赤井はぐっと息を呑んで悲鳴をこらえた。
ジャケットの胸ポケットには、木谷からくすねた宝くじが収まっている。
地面に長くのびた木谷を見おろし、赤井は無意識のうちにポケットを上から押さえていた。
「オマエさんには、もったいねえ額だ……俺らが有効に使ってやるから成仏しろよ」
「オレ、旅行行くっス」
何か明るいことを言い足そうと、ダイは弾んだ声を出してみせた。
「赤井さん、何に使うんスか?」
「まず……新しい車に替えるかな」
枝がこすった痕がどれだけ傷になるかなんて、気にするまでもなくこの車はすでにオンボロに近い。赤井は暗がりでにやりと笑う。自分でも卑しい目になっているのが分かる。暗くてダイに見えないのは幸いだった。
赤井はダイに足を持たせ、自分は木谷の両脇に手を突っ込んだ。よちよちと腰を落とした状態で額をぬぐう。秋も終わりだというのに、すぐに汗が噴き出した。いったん、駐車場の舗装が切れて草地になっているところに木谷の身体を下ろし、懐中電灯を崖の下に向ける。
「よし、俺が言ったようにやれよ」
赤井はダイにそう命じ、二人はもう一度木谷を持ち直した。二人は木谷の身体を左右に揺らしていく、最初はわずかずつ、だんだんと大きく、そしてはずみがついた時に
「離せ!」
赤井が小声で叫んだのと同時に、二人はぱっと手を放した。巨大な塊は大きな弧を描いていただろう、やがて、ずしん、と何かがぶつかる音、続けて枝が裂ける音がひとしきり響いてごろごろと斜面を何かが転げ落ちて行く音が続いた。
眠っていた鳥が喚き声を上げて、向うの山陰に逃げていった。
細かい砂利や石がざらざらと落ちていく音もようやく止んで、しばらく経ってから、ダイが大きく息を吐いた。
「やりましたね……」
赤井は黙ってダイから懐中電灯を取り上げ、光を谷底に向けた。
身を乗り出すように下をうかがってみたが、かなりうまく下まで落ちたのか、木谷の姿はどこにも確認できなかった。ただ、雑木の枝先や尖った岩がちらりと丸い光の中に浮かび上がるだけだった。
「それにしても」
木谷の姿が消えたせいか、ダイは急に緊張がほぐれたようにいつもの明るい口調に戻った。
「ホントに、一億ですよねー、間違いじゃないっスよねー」
それで間違いだったら、洒落にならないっスよ、と車に戻る時にもずっとしゃべり続けている。オレさ、いっぺんでいいから群馬の秘湯めぐりに行ってみたかったんスよ、あ、でも彼女いねえし、こないだのね、アレはダメだったんスよー、結局他の奴に取られちゃってね、やっぱ金ねえと勝てねえ。あっ、それよかオレ、ション……
ふり向きざまを、赤井は一撃で倒した。木谷の時よりうまくやれた。
ダイは地面に崩れ落ち、頭を抱えたままうずくまる。泡を吹いているかのごとく唇から低い音をたてている。いつも出すような声とは全く違う、やられた獲物の音だった。そこを赤井はもう一撃、そしてもう一撃。
ダイが完全に死んだのを確認してから、赤井は今度はダイの両足首を掴んで縁まで引きずっていった。木谷と比べても小柄だし軽い。赤井はダイを担ぎあげ、今度は突き飛ばすように崖下に投げ落とした。
先ほどと似たような音がしばし続き、やがて元通り静かになった。
赤井は弾む息のまま、また懐中電灯で下を照らしてみた。とことんツイているようだ、崖下は木が密生しているせいで、ダイの姿も完全に隠れていた。
「悪いな、ダイ」
数千万の借金を返してもまだ十分お釣りがくる。更にギャンブルにつぎ込んでみても悪くないかもしれない、こないだまではもうこりごりだと思っていたのに……と赤井はまたにやりとした。もう誰にも気兼ねなく笑える、見るヤツなんていないのだから。
血が落ちているかどうかさえ、気にはならなかった。
赤井のニヤニヤ笑いはもう止まらない。
オレは運がいい、今までの悪運とはもうオサラバだ。こんな廃墟なんて誰が来るもんか。
桜の大木だって花見をした頃にはすでに枯れかかっていた。穴場だけど、何かブキミよねえ、と一緒に来たエミもあたりを見回してそう声をひそめていたくらいだ。
もしかしたら、今までも何度か、こういった棄て場に使われていたのかも知れない。
ニヤニヤ笑いが止まらないまま、赤井は車に乗り込んだ。
違和感に気づいたのは、エンジンをかけてからだった。
エンジン音は相変わらず軽薄と言えるほど頼りない、しかし、なぜか車体の揺れはいつもほど感じない。そして、天井から伝わる圧迫感。
何か、ふわりとからめ捕られた感だった。
アクセルを踏んだ、しかし、動かない。焦って更に踏む。溝のすり減ったタイヤが思い切り空回りした。高い回転音で胃がひっくり返りそうになり、赤井は慌ててアクセルから足を離した。
エンジンをかけたまま、急いで車外に出る。懐中電灯で照らされた車の屋根に、大木の枝がどっかりと乗っていた。
「なんでだよ……」
駐車場に入れた時には太い枝はもう少し上だったはず、その下に伸びる細い枝が車にかすっていた程度だったのに、今ではすっかり、太い枝にのしかかられている。太い枝と車との間に細い枝がしっかり挟まり、さらに動きが取れない状態になっていた。
赤井は手の甲をくわえ、車の周りをうろつく。どうにか頭をすっきりさせようとようやく立ち止まってじっと車を見つめた。
ようやく気づいた。車の重量が減ったせいだ。
そのために車が浮き上がり、枝に挟まってしまったのだ。
「畜生…………畜生!!」
バンの尻を思いざま蹴りつける。しかし固定されてのもあってか、車はびくともしなかった。
赤井は再び車に乗り込み、今度は思い切りアクセルを踏みつけた。ぎゃん、と歯の浮くような叫びを上げて車はいっとき、前に飛び出そうとした。だが、やはり動けない。ゴムの焼ける匂いが赤井の鼻についた。
「畜生、チクショー」
いったんアクセルから足を離し、また踏みつける。離して、また踏む。あえぎながら繰り返し、時おり「チクショー」と叫ぶ。車は悲鳴を上げている、ダッシュボードから煙が上がり、ゴム以外にも何かもっとほかの部品が焦げる匂いが車内に充満した。
赤井はいつの間にかシフトを動かしていた。ドライブから、ニュートラルに、そしてバックに。
「ほら見ろ、畜生め!!」
赤井の勝ち誇った叫びと共に、発作に襲われたかのごとき勢いで車は後ろに飛び出す。ざん、と枝葉がしなり車の金属を切り裂きながら更にのしかかって来た。太い枝が引っ張られると、傷んでいたらしい根元が一瞬ぐらつき、腐りかかった桜の大木は崖を落ちて行く車の上にゆっくりと覆いかぶさった。
赤井が最後に見たのは、ヘッドライトに照らされた桜の一枝。折れた枝は先に闇に落ちて行った。
ダイの言った通り、季節外れの花がついたまま。
「徒花……だな」
そしてその先には深い谷。岩が白く光る。
最後の悲鳴は、根元から折れた大木が谷の木々を薙ぎ払いながら崖を下っていく轟音にかき消され、いつしか小石の駆け下る音にまぎれ、暗闇へと吸い込まれていった。
星一つない、真っ暗な闇夜のことだった。
了