◇はつ変

ラノベの予定で書いていました。人称を一人称にするか三人称にするか、書き出していた当初ガラにも無く迷い、少し置いて考えよう、と思い直してからすっかり忘れていました。うーん、人称困った。とりあえずの書き出しです。

[第一章]

 

[chapter1アイツがここに転校(やっ)てくる]

 

【01】 

 

 ノンキに梅昆布茶なんてすすってるオフクロに、俺はくってかかった。

 

「聞いてねえよ! そんな話」

 

「アッキに話してなかったっけ? まあいいわ」

 

「よかねえ」

 

「マコちゃん、もう引っ越して来ちゃったんですって、昨日。来るっていうのは先週末に聞いてたけど、詳しく聞こうと思って今朝電話したら、もう来てるって言うじゃない?」

 

 この人も詳細は何も聞かされていなかったようだ。

 

「転校の手続きも済んで、支度も全部できてるらしいし。さすが金持ちの一族ねえ」

 

 その金持ち一族からはみ出したオフクロは、まるで他人事のように楽しげに笑っている。

 

 いつもと同じ朝食の席、トーストに乗せた目玉焼きが滑り落ちるままにまかせ、俺はオフクロの一方的な話を聞くだけだった。

 

「どっちにせよ、アンタのイトコなんだから、それに同い年だし学校でも仲よくしてやってよ」

 

「……やだよ」

 

 

 

 マコちゃん? どんなヤローなんだ?

 

 しかも、あんまり嬉しくないオヤジの一族つながりだ。

 

 それが同じ学校に? しかも近所に住むって?

 

 

 

 俺の頭の中にはどす黒い?マークがほの暗い心的背景の中たくさん飛びまわっている。

 

「まさか同じクラスにはなんないだろうな」

 

 ちらっと、クラス……いや学校唯一の女子、つんと澄ましてはいるが、見目麗しき顔を思い出していた。

 

「ゴトバさんに対する分母がますます増えるじゃねえか」

 

「え、何か言った?」

 

 とにかくお願いねー、何でも俺にマルナゲなオフクロは軽くそう言って、また梅昆布茶をすすった。

 

 

 

 オレ、橿原(かしはら)日明(あきら)が四月から通い出したのがここ私立星流館高校。

 

 全校生徒一千と少し、ごく普通規模の学校である。

 

 

 

 ただ、ひとつだけある特殊事情……そのうち女子生徒はたった一名のみ。今年春に俺たちと共に入学したばかりの後鳥羽みすずだけだった。

 

 

 

 俺はたまたま専攻過程の関係で同じクラスとなったのだが、彼女が入った直後はもう、上を下をの大騒ぎだった。

 

 朝夕休み時間ともなると、同級生のみならず先輩の二年三年までクラスを覗きに来てしまいには生徒会が整理券を発行していたり、どこでもかしこでも彼女をじっとりと見つめる青少年の姿が垣間見えたり。

 

 あまりの全校生徒の熱狂ぶりに、ついに生徒会から「一Aの後鳥羽みすず三秒以上凝視禁止」令が出された。

 

 最長三秒以上彼女を凝視したと認められた者はすぐさま生活指導主事から特別に任命された『取締り委員』の連中に拉致されて指導室送りになっていた。

 

 

 

 まあ、それだけ後鳥羽さんに見るだけの価値があるってことだけど。

 

 彼女は身長は一六五もないだろうがすらっと背の高いイメージだ。BWHサイズは極秘事項とされ、このデータだけは養護教員によって地下室の金庫に保管されている、らしい。

 

 俺が推測するに、締め付け過ぎているきらいはあるが、あれはどう見てもCカップは下らない。

 

 髪はさらりと腰までのストレート、卵型の顔を綺麗に縁取っている。顔立ちは理知的で切れ長の目に長いまつ毛、鼻すじもその下のやや薄い唇も形よく、名だたるアニメーターがさっと渾身のひと筆で仕上げた高級ビスクドールのよう……

 

 

 

 いや、俺だって決して三秒以上は眺めていなかったつもりだ。積み重なるチラ見の努力の成果であり、盗み撮りもしていないと誓って言える。エロカズ――江口カズトモみたいに。

 

 

 

 ちなみにエロカズは盗撮がバレてその場でスマホを踏み潰された上に理事長室送りになった。あのヘンタイ理事長からどんな制裁を受けたんだろうか……

 

 理事長室からようやく出された時のエロカズは、微笑んではいたものの目は完全に虚ろだった。

 

「心の傷が完全に癒えてから聞いてくれ」

 

 と言われているので俺もまだ詳しくは教えてもらっていない。

 

 

 

 まあ、後鳥羽さんの話にもどろう。

 

 りんとした顔立ちにふさわしく、頭脳明晰。

 

 入学当初、数学のオチアイが俺たちを試そうとして出した小難しい証明問題、しんと静まり返った中、ぴっと手を伸ばして挙げ、スタスタと前に出てあっと言う間に解いてしまったのだ。

 

 運動面でも、男子に交じって運動場を何周も回ったりハードな柔軟体操をなんなくこなしたり(でも二人一組の時はさりげなくパス、未だに彼女と組んずほぐれつの絡み合いをしたクラスメイトはいない)、とにかくそんじょそこらの男子と比べてもひけを取らない。

 

 

 

 ただいつも、笑ったところを見たことがないんだ、ほとんど。

 

 それに、クラスの誰とも気軽な話などしない。そりゃあ俺ら男子なんてアホっぽくて話が合わないだろうし、男子は男子どうしで互いにけん制し合ってるし。

 

 

 

 それにしても、マジメな顔して毎日定時に学校に来て定時に帰る……

 

 何のために男子ばかりの学校に入学しちまったのか。

 

 いつか直接聞いてみたいとずっと思ってはいるんだがな。でも俺みたいなごくごく普通の何の取り柄もない男子なんて、ホント、とりつくムネ、いや島もない。

 

 

 

 それでも救われたのが、彼女が男子に興味がないってのは誰に対しても同じようで、だんだん周りは静かになってきたようだ(当校比)。

 

 たまに彼女の靴箱にメッセージを残すヤツはまだまだ健在のようだが、それに応えたというウワサも、入学から半年たった九月の今ごろになってもまだ聞いていない。

 

 クラスの男子どもは何となく遠巻きにしながら、おそるおそるちら見……しかし三秒以内厳守、って程度かな。

 

 嫌っているなんてとんでもない、いうなればそう、高嶺の花を喰えないと解りつつも横目でみているアルプスアイベックスてな存在なんだろうな。

 

 

 

 それでもさ……俺はそれでも諦めたってワケじゃないし。誰も鼻にもひっかけない、ならば俺みたいな野性山羊にも逆に等しくチャンスがあるってわけじゃね?

 

 連れのエロカズとも何度も言い争いになってた。もちろん後鳥羽さんと『取締り委員』の居ない所でコソコソ話で、だけど。

 

「こないだプリント分けた時、手と手が触れあったぜ」

 

「妄想による錯覚だ、ばか。だったらもっとすげえ、俺の前で胸の谷間まで見せたんだぜ、消しゴム落としたのは前フリだ」

 

「バカはてめえじゃエロカズ、だからオマエはエロエロ言われるんだ」

 

 そんな空しい言い争いはたぶん、オレらだけじゃなかっただろう。

 

 

 

 オフクロが出した名前、それは俺にも聞いたことだけはあった。

 

  三鶴崎(みつるざき)マコト

 

 俺の父親方のイトコになる。

 

 それがなぜ急に、オヤジの親戚が? しかも俺と同級生で同じ学校に転入?

 

 オフクロも話しながら首をかしげている。

 

「まこちゃんのご両親がね、急に海外に転勤になったの、独りで家に住むのは広すぎるし未成年だし、本家にもちょうど保護者になるような大人がいなくて仕方がないから、うちでちょっと面倒みてやってくれないか……って」

 

 とにかく窮屈なことがキライな俺も懸命に首を横に振る。

 

 なんでも、ヤツと俺とは赤ん坊の頃に本家の集まりで一度だけ顔合わせした事があるらしいが、そんなこと覚えちゃいねえし。しかもその時、ソイツは紙パン一丁の俺に掴みかかってその貴重なシタバキをはぎ取って、しかも俺はその途端盛大にお漏らししてタイヘンだったらしい。

 

「本家のおおばあちゃんに『そんなのもガマンできんとこの子ザル、やっぱりノボルの息子じゃ』とまで言われたんだろ」

 

「アンタ、おお泣きだったしねー」

 

懐かしげな顔すんな。自分の息子が人外設定されてたんだぞ、もっと憤れよ。

 

 

 

 それにそのマコトというヤツも何だよ、いくら、いたいけな赤子とは言えそんな変態行為、誰が許すか、と息まく俺にオフクロは笑って

 

「相手だって覚えてないわよ。それにマコちゃんも一人で暮らせます、って言ったらしくてとりあえずこの近くにワンルーム借りたって。本家も三鶴崎のうちもお金には困ってないからね」ほっとした。

 

「でもね、同じ学校に入ることになったし、最初は朝とか休みの日にちょっと見に行ってあげて、あと学校も案内してあげてね、明日から登校するって言ってるし」

 

「ええっ!?」

 

 俺は首から抜けそうになる頭を抱えた。

 

「なんで俺が、それに急に明日って」

 

「アタシが行ってやりたいけど、〆切りがねえ」

 

 出た、『〆切りと言えば人生の重責が何でも許される攻撃』。

 

「お願いね、はい、これ住所」

 

 メモをテーブルの上に滑らせてよこし、さてよっこいしょ続きを仕上げネバー、と妙に明るく彼女は自室へと去って行った。

 

 メモには、そいつの字だろうか……名前と住所、ケータイ番号、妙に几帳面な文字、案外細かいヤツなのかもしれない。

 

 俺は、はあああっと大きくため息ついて、メモを畳んで胸ポケットにしまう。

 

 何だかいい予感が全然しなかった。そしてその予感は思いがけない方向にねじ曲がりながらとんでもない事態となって俺にふりかかることになろうとは……知らぬが仏とはまさにこのことだね。

 

 

 

【02】

 

 父親のノボルは、俺がまだハイハイの赤ん坊の頃、実家にひとりで法事に戻ったきり行方が知れなくなった。

 

 だから俺はオヤジの顔は知らない。

 

 オフクロは写真一枚残していない、どうせそんなに大した顔じゃなかったしね、とあっさり言うのでじゃあ似顔絵を描いて、と幼稚園の頃せがんだことがある。

 

 その時彼女が鼻歌交じりで描いたのが可愛いコックさんだった。だから絵描き歌じゃあ思い出は辿れねえんだって。

 

 まさか本当にあんな濃い顔だったかどうか今となっては定かではないが。

 

 

 

 そのオヤジの実家、『本家』というのがとんでもない代物だった。

 

 ド田舎とはいえ広大な敷地にどデカい屋敷を構えており、古式蒼然とした建物自体の複雑さも重文並みだし、山林や2000メートル近い峰々まで抱えたその土地も、狭い日本とは思えない一大自然保護区だった。

 

 

 

 オヤジは法事が済んだ後、庭で一服してくる、と言って外に出たきり、敷地内で遭難したらしい。だから裏庭から滝壺が見下ろせるなんて間違ってたんだ。

 

 

 

 オフクロの麻子は結婚前から自宅でコピーライターをやっていた。オヤジの仕事のツテとかなんやらでそれなりに仕事はあったらしい。

 

 そこに突然オヤジの失踪、警察も入ったり、地元の捜索隊が出たりと当時は大騒ぎになった。

 

 

 

 俺が小学校に上がるまでは、オフクロは女手ひとつで俺を育ててくれた。

 

 今までやっていた仕事をすっぱりと止め、パートや派遣をいくつも掛け持ちした。

 

 できることはなんでもやったらしい、外回りの人、中の人、裏の人など。さすがにバク転が苦手なユルキャラとしてTVで話題になった時にはなぜか本家にバレてしまったらしく、何度も経済的援助の申し出がされたらしい。

 

 しかし彼女は俺が物心ついた頃にはすっかりオヤジの一族からは遠ざかり、本家に自ら連絡をとることもなかった。

 

 

 

 そして、俺が小学校入学後、オヤジの失踪宣告というのを出してから急にまた自宅の一室にこもり、またガツガツと仕事を始めた……なんと、小説家として。しかも、

 

「ライトノベルっていうのよん」

 

 語尾まで何だか軽くなって。しかし、目の奥の光は尋常ではなかった。

 

「ノボ……父さん二度と帰ってこないんだ、って思ったらさ。それにアンタも大きくなったし、これからは自分が思った仕事をとことんまでやるの」

 

 パートの頃以上に俺の方にはお構いなし、とにかく連日連夜、書きまくっている。

 

 

 

 最初はかなりめんくらったものの、それでも俺もようやくこの暮らしに慣れてきた。

 

 メシも近くのコンビニやスーパーで買ってきて(オフクロの分も一応ね)、昼は学校の購買を利用。

 

 いうなれば別室にオバサン常駐の気ままな独り暮らしって感じかな。

 

 

 

 なのにここにきて、今度はさらに他人の世話だって? 冗談じゃない。

 

 

 

【03】

 

 俺はぶつくさ文句をたれながらメモにあった住所に向かう。ここから歩いて5分もかからない、しかもいつも乗るバス停への中間地点。とりあえず、挨拶だけはちゃんとして、どんなヤツかだけでも確認しよう。一緒に学校に行く行かないは本人次第だ。

 

 着いたのは、ごく普通の5階建てワンルームマンション。できたばかりのようだ、各階に4室ずつしかないようであんがいこじんまりしている。ヤツが引っ越してきたのはここの最上階の一室らしい。

 

 俺は可愛いエレベータで上がっていって、メモにあった『501』のドアホンを鳴らす。反応なし。

 

 もう一度鳴らす、変だな。確かに今朝、一緒に、って言われてたよな。ちなみに朝、オフクロはまだ寝ていたので再確認してなかったが。

 

 ぴんぽーん、ぴんぽーん

 

案外心配性な俺、次にドアをノック。

 

「おはようございます」タメにいきなり敬語。「あの、おはようございます、カシハラです」何て呼びかけていいのか解んねえ。

 

「いますかー」

 

 何の反応もない。どんどん、俺は更にドアをノック。「あのー、おはようございま」

 

 突然隣のドアが、がすっ、と不気味な音と共に開け放たれた。ひと目見るなり俺はぶっ、と鼻から噴き出しそうになる何か熱いものを押さえ立ち尽くす。

 

 ドアの向こうに半身見えていたのは、絶世の美女。そして、どこかボッティチェリだっけ、ヴィーナスの誕生を思い出させるようなその絶妙のプロポーション、髪もゆるゆると背中を覆うような赤いウエーヴでまるで俺を誘うかのよう。

 

 絵のように一方の手で豊満な胸を覆い、もう一方でもっと下のもっとヤバい場所を覆っている。つまりは、は、ハ……

 

「何みてんのさ」

 

 永遠の美の象徴は、似合わぬドスのきいた声で下目に俺を睨みつけた。

 

「朝からうるさいわねー、何? そっちの子になにか御用?」

 

「あ、あの……」俺はすでに日本語作成回路崩壊中。しどろもどろ、あっという間に沸騰した血が頭にまで昇ってきたのが分る。

 

 彼女は上から下まで俺をジロジロと眺めまわし、「ああー」今度は目を少し宙にさまよわせる。やや垂れ目がちで吸い込まれそうな大きな瞳、つんと上を向いた可愛い鼻とぷるんとした口もとそれにこの身体、モデルさんなのだろうか……いかん、また俺の目が釘付けになっている。

 

 よく見ると淡いピンクのバスタオルで胸から下を覆っているのに気づいた、肌色に限りなく近いので一瞬、マッパに見えたんだ。シャワーでも浴びていたのだろう、うねった髪先から滴が落ちている。ちょっとだけ俺の動揺は収まってきた。それに、さっきのドアは足でけり開けたのだろう、何故か足もとだけ黒い安全靴。あれで蹴られたらひとたまりもない、俺はできるだけ彼女の方をまともに見ないようにようやく声に出す。

 

「あ、俺、いや僕、ここに引っ越して来た子のイトコで……」

 

「同じ学校の制服だね」

 

 彼女も見たのか、そいつの制服姿。ようやく相手の目から敵意が消えた。

 

「マコちゃんのイトコかあ」今度はニヤニヤしながら俺の顔をまじまじと見ている。

 

 この人にもマコちゃんなんて呼ばれてる、引っ越してきてまだ数日だろ? なんなんだ、マコト。

 

「なかなか、いいオトコだねえ……ところでさ、年上は好き?」

 

 すっときめ細かい白い腕が俺の頬をかすめ、ぎゃあ、と俺は飛び退った。一瞬離した手のせいでバスタオルがひらりと前に落ちかかり、彼女は平然とまたそれを押さえた。

 

 甘い南国の花の香り、しかもタオルのほどけたその[[*間*あわい]]にちらとのぞいた、湯温のせいか布地の色合いかほのかに紅に染まるその肉体の翳りのその。どきどきどきどきどき、やばい、案外こゆの弱い。気づいたら彼女の部屋に数歩あゆみ寄っていたし、まるで食虫植物だこのシステム。俺は今朝、ここで斃れる、甘い蜜に溺れて。後悔はすまい。さらばエロカズ、マオ、お前らに先立つナニを許してくれ。しかしどこか数ミクロンの隙間に残されていた理性が俺の人格崩壊を必死で喰い止めようと、声を発した。「あ、あの……マコ、マコトくんは」声を絞り出すとようやく理性の容量がジリ増ししてきた。頼む、マコト、マコトさま、早く出てきてくれ。

 

「マコちゃん、もう学校に行ったよ」

 

 はい? 誘惑の風呂上がりヴィーナスはあっけにとられた俺にぴらぴらと手を振った。

 

「残念、君も遅刻しちゃうぞ」

 

 えっ、時計を確認する。やべ、いつもよりずっと遅い。すみません、と茹でダコ状態のままの俺に、彼女はにっ、と笑いかけた。

 

「行ってらっしゃい。また寄んなさいよ」

 

「……はあ」

 

 明日から寄らずにすみますように。呼んでもなかなかこないエレベータを諦め、俺はまだ64ビートを刻む心臓を押さえながら今度は非常階段を駆け下りていった。

 

 マコト……どんなヤツか知らないが、あのオネイサン相手に無事に済むのだろうか、というよりすでに彼女の毒牙にかかってしまったのだろうかそれとも結構ヤツの方が積極的だったのだろうか、越してきてまだ3日だろ? どーすんだよマコト! 他人の心配だけはしっかりとする俺だった。

 

 

 

[04]

 

 朝っぱらからスットンキョウなもの、いや眼福、いやケシカランものを目の当たりにして、目当ての人物には会えず遅刻ギリギリというイレギュラーな行動を強いられた俺は、それでもどうやら丘の上にスッキリそびえる学校にたどり着いた。

 

 教室に飛び込むなり、「おいっ」いつもはムッツリとおとなしいマオが駆けよってきた。

 

 おはよう、ですらない。すっと切れ長のキツネ目をいつになく見開いて俺の袖を引く。

 

「何だよマオ太郎、おはようくらい言え」

 

「ユウダイと呼べよ、おはようアッキ」背の高いコイツの名は片山勇大(ゆうだい)。

 

 俺も似たようなもんだが、彼女いない歴15年。爽やかにしていればいい男で通るのに、前髪が目の前にかかりうっとうしい長さ、そしてどことなく性格もイジイジしている。話せばそれなりにいいヤツなんだがとにかく、自分からあまり話しかけてこない。特に女性に対しては俺以上のオクテ。だがしかしヒスイに対してはこの学校でも1、2を争う程の惚れっぷりを貫いている……もちろん密かに。

 

 コイツはこともあろうにポケットにいつも『ラヴ・レター』を忍ばせている。俺が見たのは可愛いハートマークがあしらわれた水色の小さなカードで、中にはタイプ文字で

 

『勇大くん、少し早いけどお誕生日おめでとう。ぜひとも伝えたいことがあるのでここにメールください。********* ヒスイ』

 

 と書かれた紙片が貼ってあった。

 

 ひと目見た時、俺はがーんと脳天にレンガを喰らったような衝撃を受けたよ。たまたま雨が急に降ったせいで、びしょぬれになった俺はヤツのジャージを借りて羽織ってたんだ、何となく手を突っ込んでなにげに開いてしまったこっちも悪かったが俺は急に激しい憎悪をヤツに覚えた。なぜヤツのジャージにこんなものが……ぜってえ、取締り委員にチクってやる、そう心に誓って、もう一度よく文面をみる。しかし何か妙な違和感を覚えて、俺はさらにもう一度よく内容をあらためる。

 

 女子からだろう? なぜタイプなんだ? なぜ手書きではない?

 

 更に手を突っ込んだ俺は、小さく折り畳まれた上質紙の切れっぱしを見つけた。ひろげてみると、あらら……タイプした文面の試し刷りがいくつも並んでいた。

 

 つまりヤツは自分でこれを創作して、こっそりポケットに忍ばせていたんだな。ううう、何て哀しいんだ、哀しすぎだぞ、マオトコ。それを見ちまった話は本人にも内緒にしている。

 

 ちなみに『マオトコ』というのは勇大の勇の字をマと男とに分解したあだ名だが、あまりにも可哀そう過ぎるということで今では俺やエロカズなんかは『マオ太郎』って呼んでやってるがな。

 

 まあ、そのマオがいつもは見せていない晴れやかな表情で笑いかけてきている。何だろう、どんな天変地異がくるのだろう?

 

「オマエ、聞いたか? おおおお、おおお」

 

 マオから『お』の波状攻撃を受けている間に今度は後ろから誰かが叫ぶ。

 

「アッキ、シゲナリーノが探してたぞ、一時間目何だか準備しとけって」

 

「やっべ、ごめんマオあとで」慌てて職員室に走る。遅刻しそうで忘れていたが、1・2時間目の化学、教科係として先生に御用聞きに行く必要があった。

 

 いつものごとく、初老のシゲナリーノは

 

「教室でやるから、巻物出してきて」と目いっぱいワカモノ使うモードを発動。すでにメモってあった物品リストをほい、とチョキにした指で挟んでよこす。

 

 俺はごく普通の大人しい目立たない高1、もちろん成績も特にぱっとしない平凡な地位に甘んじているので「はい」とそれなりに過剰になり過ぎず、かと言って嫌な感じも与えない並みな返事を返し、理科準備室にとって返す。

 

さて理科室に飛び込み、更に奥の準備室に入るドアに手をかけた瞬間

 

「はぁんっ♡」

 

 なんか、メチャクチャなまめかしい吐息が耳に飛び込み、俺はぎょっとなって立ちすくんだ。

 

「ちょ、ちょっとぉっそれマズ……」

 

 更に吐息のような、少し押し殺した声が漏れる。「ぬ、脱げませんこれぢゃああっふっっ」

 

 何だぁ? 確かにこの小部屋の中から声がする。この声は……女子?

 

 この学校で女子と言えばひとりしかいない、我がクラスの紅一点・後鳥羽ヒスイ。あと、ギリギリ女子と言えなくもないのが養護教諭の中嶋カナ先生。新卒で入って2年目。小柄でちょっと発育不良、太い縁の眼鏡の奥はリスのようにまん丸でしゃべり方もリスっぽい……アニメか特撮に出てくるリスだけどな。

 

 でも、どちらもこんな声は出さないだろう、普段は。じゃあ誰が?

 

 幽霊か? 急に背中に冷水を浴びせられたようにぞっとする。

 

 確か、この中にある骨格標本が、学校の怪談として話題になったことがある。『星流館七不思議』として。その標本は近所の大学病院から譲ってもらった『本物』で、元々は俺らとたいして歳の変わらない美しい少女だったというウワサ。名前までいつの間にかついてる、コツエ。コツエは時々、悲恋の相手を思い出しては似たような少年をこの学校内でそっと捜し回っているのだと、そして耳元で囁くのだ、いつか一緒に骨標本どうしとなって準備室の中で過ごそうね、永遠に……

 

 ぷるぷるぷるぷるぷる、俺は頭を振って恐ろしい妄想を振りはらう。ガイコツがしゃべるワケねえ、声帯ないんだし、『脱げません』なんていう訳ねえ、元々何にも着てねえし。

 

 しかし、声が聴こえたのは確かだ。と、そこに押し殺したもう一つの声が。

 

「ダメ、暴れちゃ。もっと、こっちに寄って両手を挙げてそう……」

 

「抜けないですぅ」

 

 どちらも女子の声。何なんだ?? ダメ出しした方は聞いたことある、なんとヒスイの声、そしてもう一人は……カナ先生にしては幼い甘い感じだ。じゃあやっぱり、ガイコツ!?

 

「ちょっと! 動かないでそう……ああ、そうよ、いい、いいわ」

 

「くす、くすぐったいぃ」2人分の荒い息が漏れ聞こえる。俺はすでに暴れまくる胸を押さえながらそっと、そっとドアに身を寄せて小さな丸窓からおそるおそる中を覗く。

 

 古びたガラスのせいで、何か懐かしのムービーを見ているような丸枠の中に、2人の少女。1人はエビのように状態を前に倒し、もう1人が腕の所で何かを懸命に引っ張っている。「ううー、もう少し、もう少しよっっ」

 

 すぽん。「はぁぁぁぁっ」2人は同時に大きなため息をついて、同時に顔を見合わせ、急にあはははは、と笑いだした。脱がせていた方は後鳥羽さんだ、こんなに年相応な明るい笑顔は初めて見た。

 

「よかったぁ、もうワンサイズ大きいのがいいみたいね」

 

「すみません、後鳥羽さん、アタシ、制服にベストあるの知らなくて」

 

「大丈夫、冬服までに間に合えばいいんだし、すぐ購買で取り換えてもらえるわ。それにしても」

 

 まだ紅潮した頬を相手の方に向けて、後鳥羽さんはもう一人の制服姿にうっとりと眼をやっている。

 

「よかった、もう一人女子が増えるんだもん」

 

「同じクラスですしね」相手の子は転入生か、しかもまた俺たちのクラス?

 

 見たところ後鳥羽さんより背が低く、小柄な感じがする。めくれ上がったブラウスを下唇を少し突き出した真剣な面持ちでスカートの中にたくし入れていた。ぱっ、と顔を上げた時、やや明るい栗毛色の髪が窓からの光できらきらと輝いた。顔立ちは愛きょうがあって、後鳥羽さんとはまた違った良さが。どちらかというとさっき出していた声そのまんま、幼いって感じかな? しかしさっき脱げなかったベストの下からちらっと見えた横っ腹といい、上にあげていた腕といい、肉づきは案外悪くない。ああ八百万の神々よ、この罪深き男子を許したまえ。そして素晴らしき覗き見の機会を与えて下さり心より感謝いたします。

 

「敬語やめてよ、ヒスイって呼んで」

 

「じゃあ私のことはマコ、って」え。今度こそ俺はホンキで固まった。

 

「マコトなんで、マコ、って呼んでください、あ、」てへぺろ、と自分の頭をこづく。

 

「つい敬語使っちゃう、どーしよ」

 

 マコト、それって……

 

「ヒスイさん、ううう、呼びにくいなあ、ひーちゃん、でいいかな」

 

「いいわよ、よろしく」

 

 間抜け面して立ち尽くしていた俺は、その後の記憶がない。というのもがん、と目いっぱい開けられたドアが思い切り当たり、俺はふっ飛ばされて理科室の教壇に激突、そのまま気を失ってしまったのだから。