でろん妓

2186文字

2014年初公開

あらすじ――男はソレを家に入れた……妻に一言の相談もなく。

男とソレの蜜月は始まった、はずだった。

これは良いだろうとおおいなる期待と共に、大枚はたいて(?)買った暖房器具が、思いのほか効果薄く、あまりの失望感から生まれた短編です。言い訳させていただけるのならば、ずっと昔、ヨーロッパを旅した時に泊った宿の部屋があまりにも温かく、たいがいの理由はオイルヒーターだったというところから、私のオイルヒーター信仰は始まっていたのですが。やはり、使い方が悪かったのだとしみじみ反省してます。

 アレを家に入れた晩、妻は切れ長の美しい目をさらに尖らせて私とアレとを一瞥してから、

「どうして相談して下さらなかったんですか」

 ただ一言、吐き捨てるようにそう呟いた。

 

 いつもならば、私のやることには表だった反論はしない女だ。

 しかし、この問題についてはさすがに口出しをしたくなった様だった。

「何故お前に一々指図されねばならないのだ」

 言わずもがなの口答え。妻は更に表情を固くする。

「コレが居れば、もっと過ごしやすくなるだろう」

「……わたくしの申し上げた事はお聞きいれ頂けなかったんですね」

「……」

 

 私はアレを見た。

 アレは、ただしんと押し黙ったきり部屋の隅で私たちの出方をうかがっているだけだった。

 

「わたくし、いつも貴方のためを思いまして、何時も貴方がお家でも快適に過ごされるように気を遣っておりましたのに」

「しかし、お前のソレは何時もうっとうしいくらいあつ苦しいんだ、それに無駄も多い、空気も乾きがちになる、俺がいつも部屋で苦しく思っているのを知ってたんだろう?」

「……一番善かれと思ったからです」

「それが暑苦しいのだ」

「……酷い」

 

 妻は目を伏せた。長く密集したまつ毛がかなしみに震えていた。

 

 私は咳払いをして、彼女に向き直る。妻を責めるつもりは毛頭ない。

「済まなかった」

 

「本当に、」妻が目を伏せたまま聞いてくる。

「ソレが貴方を暖めてくれるのだとお考えなのですか」

「俺はコイツを信じている」

「ソレだけでお過ごしになられるのですね」

「もとより、そのつもりだ」

「分りました」妻はようやく面を上げた。

「私はもう何も申しません、どうぞお気の済むまでソレでお過ごし下さいませ」

 

 蜜月がはじまった。

 

 

 

 半月後。

 

 私の住処は少しも温まることはなかった。

 ソレは、ただ静かに片隅に居た。そして私を温め続けた、いや、温め続けていたようだった。

 静かに、声を上げることなく。

 あまりの静けさに、時おり存在を忘れることすらあった。

 しかしソレはひたすら、私の為に働き続けた。私の凍えた心を少しでも温めようと。

 

「その割では、ないですね」

 ある日妻がそう云った。心なしか、目の端に笑いを含んでいた。

「ソレは本当に、動いているのですか」

「静かに働くからこそ、価値があるのだ」

 珍しく私は声を荒げる。コイツのことを悪(あ)しざまに云うのは、例え妻であれ許せない。

 それにコレにはかなり、貢いだのだ。その後の大きな快楽を見越してのことではあるが。

「本当に」

 妻の声は、認めたくなかったが勝ち誇っているようでもあった。

「本当にソレが役に立っているとお考えなのですか」

「俺は十分暖かく感じている」

「でしょうか」腕の鳥肌を見られたのだろうか、私は敢えて半袖でいた二の腕をかるく覆ってあちらを向く。

「しかしさすがに今日は寒いな、ココアでも飲むか?」

「結構です、貴方は寒いのですか。ソレに温めて貰えばよろしいのでは?」

 私はそっとソレの近くに寄った。休んでいるのだとばかり思い、脇に手をやるとソレはほんのりと熱をもって私を迎え入れた。

 

 ずっと私のために働いていたらしい。何時から動いていたのか、あまりにもひっそりとしていたため、働いていたのすら私は気づかなかったのだ。

 

「いや、既にもう精一杯温めてくれていたようだし……そう言えば部屋が何とはなしに暖かいな」

「何とはなし、ですわね」

 妻はうっすらと笑った。完全に勝者の笑みであった。

 

 

 

 1と月半後、請求書を見て私は驚愕した。

 ソレは私のあずかり知らない所で、飽くなき散財の限りを尽くしていた。

「電気代が……」

「2倍以上ですわね」脇から、すっと妻の白い腕が伸びて領収書を取り上げた。

「貴方、アレを家に入れてからずっと点けっ放しでしたわね」

「……そんなことはない、そこまで入れ込んでいないぞ。たまには休ませていたぞ」

「貴方ともあろうお方が」

「いつも使っていた訳では」

「音もしませんからね、お気づきにならなかったのかも」

 妻はまっすぐ私の顔を見る。

「そろそろ負けを認めて下さってもよいのでは?」

「……」

 

 私は知っていた。彼女が自室で、以前のヤツとよろしくやっていたのを。

 私がずっと、「ヤツは危ないから自室に入れるのは止めろ」と強く云っていたソイツを、密かに自室に招き入れて身も心も熱く過ごしていたのを。

 彼女を責めることは私にはできない。私は彼女の部屋をそっと覗く。

 熱せられた乾いた空気の中、彼女ははしたないほどの薄着で、すっかりくつろいだ姿でテレビの前に居座っていた、ソイツを足もとに従えて。

 

 私は居間に戻る。ソレはまだしんと静まり返ったまま、しかし目いっぱいの電気代を喰いながら働いていた……私のために、私の温かき平穏のために。

 

 その割に、広い部屋はひんやりと冷たい空気に満ちていた。

 

 

 

「未使用に近い美品です、環境に優しく身体の芯まですぐ温まる。安全快適お部屋の暖房はこれで決まり!!」

 そうだ、もっと狭い環境だったならばコイツももっと私を温めてくれた筈なのだ。私たちが熱く過ごすには、あまりにも環境が悪過ぎたのだ……

 私はネットオークションのコメント欄に一通りのことを記入してから、すぐ脇に目を落とす。

 そのオイルヒーターは、私が最初買った箱の中にまた収まっていた、そしてひっそりと待っている……次の主(あるじ)を温めるその時を。

 

 私は妻の部屋に行き、こう言いながら頭を垂れた。

「ゴメン、やっぱりその石油ファンヒーター、居間に戻そう?」

 

 

 了

 

あらすじ――男はソレを家に入れた……妻に一言の相談もなく。

男とソレの蜜月は始まった、はずだった。